みなさん、こんにちは。今回も長文です。覚悟下さい。ちなみにケーブルTVのロートホルンの天気は参考にしただけで、ロートホルンには登ってないんです。
初心者はまず、基本のヨッホから。


*** アルプスは今日もお天気 ***

第15話 クライネシャイデックの奇跡の巻


 不安と、ドキドキワクワクが入り交じった複雑な気持ちで、私たちは、駅への急坂を降りた。昨日に比べれば雨が降っていないだけましだが、厚い雲が陽の光を全てさえぎり、相変わらず谷間はモノトーンだ。

 ラウターブルンネンの駅で切符を買う。ユングフラウヨッホまでの往復。でも、クライネシャイデックまで登って絶望的だったら、今日はそのままグリンデルワルトに降りて、切符の残りは翌日の再トライに使おうと思っていた。なぁに、山が見えなかったら、グリンデルワルトで氷河やシュルフトを見て、お買い物をして、日本人の団体さんを眺めて帰ってくるさ。
 …だがしかし、私たちはついにグリンデルワルトを目にすることはなかったのだ。

 駅にかわいらしい電車が停まっている。ベルナーオーバーラント鉄道と色違いのウェンゲルンアルプ鉄道だ。中に入ると、向き合いに座る木のイスだ。急斜面を登っていくため、前向きと後ろ向きではイスの角度が違う。結構狭くて、日本人はまだしも、恰幅の良い欧米の人にはきついかもしれない。
 お客さんはぱらぱらという感じだ。みんな、上は晴れていると期待しているのかな?
 時間になって出発だ。ゆっくりと電車は発車した。次第に傾斜が急になってくるが、景色はまるで見えない。雲の中を行くようだ。右の車窓は急斜面になっていて、手を伸ばせば届きそうなところに時々小さな沢や滝、草花がかたまって咲いている様子が見える。左は白一色だ。この閉塞感は景色のせいか、それとも不安のため?

 どれくらい走ったか、ぽつりと一軒、家が見えたかと思うと、ふいに霧の中からウェンゲンの村が姿を現した。
 小さな駅に車両は滑り込み、ゆっくりと停まった。乗客の何人かが降りて、同じくらいの人数が乗り込んでくる。駅前にはたくさんホテルが見える。ラウターブルンネンよりも、リゾートらしい雰囲気が漂っている。アイガーという名前のホテルも見える。晴れていれば窓からアイガーが見えるのだろうか。

 ウェンゲンを出ると霧はますます深くなり、あとはもう駅には停まらなかった。あれ?、でも、帰りにハイキングして乗車するはずのウェンゲルンアルプの駅は何処にあるのだろう。停まる電車と停まらないのとあるのかな? それとも下りしか停まらないのかな? たとえあってもこの霧では見つけられないかもしれなけれど…。

 気分はまた少し落ち込んできた。私たち家族3人には暗黙の役割分担がある。海外旅行初めての母がお客様で、英語が話せる夫が添乗員、私がプランナー兼アドバイサーだ。旅程は全て私が企画した。お天気は運とはいえ、晴れなかったら企画者の責任である。これまでのように夫と二人の旅行であれば、どんな天気も笑って済ませるけれど、「生まれて初めて」の母はアルプスの山々に多大な期待をいだいているだろう。実はもの凄いプレッシャーを感じていた。

 ふいにダンナが何か言い、考え事に沈んでいた私は聞き逃した。
「えっ、何?」
「山が見えた」
「え…」
 その時、いくつかのことが同時に起きた。私の耳は、がらんがらんというカウベルの音をとらえ、反射的に右手の窓を見た。線路のすぐわきを牛が何頭か草をはんでいた。
 えっ?、どうして牛が見えるんだ?
 牛の背景は、白ではなく青だった。なんで青いんだ? 牛の足元には彼方までも続く雲海が広がっていた。
 私は青という色を見たのはとても久しぶりだという気がした。
 そうして混乱した意識の糸をほぐしているうちにも電車はスピードを上げ、グーッと大きく左へカーブした。右手の車窓は、今や青一色になっていたが、やがて左手の斜面の陰からゆっくりと、もの凄いものが姿を現した。

 な、なにあれ、なにあれ、なにあれ!!!

 それは、想像を絶する大きさの白い頂であった。鉄道のカーブにあわせて、もどかしいほどゆっくりとその全貌を現したそれは、視界に収まりきれないほどの巨大な峰であった。そして、目も眩むようなそれは、まるですぐ手に届きそうな目の前に、まさに何者にもさえぎられることなく尊大にそびえ立っていたのである。

 私は呆然とし、しばらくそれが夢にまで見たユングフラウであることに気がつかなかった。光があたって、きらきらと輝くシルバーホーンも、黒々と横筋の刻まれた中腹も、今やくっきりと見えていた。そして、ユングフラウに続き、その左隣から、メンヒとアイガーが真っ青な空をバックに、次々とあらわれたのだ。

 …私は、このクライネシャイデックの衝撃を、一生忘れないだろう。
 私たちは、チューリヒのクローテン空港から、ずっと目隠しをされて、そのままベルンを抜け、ラウターブルンネンを過ぎ、ここまで来た。クライネシャイデックまで来て、ようやく、「さあ、ごらん」と目隠しをはずされ、初めて、それをまのあたりにしたのである。なんという衝撃。なんという劇的な爽快感。
 ぎりぎりまで隠しておくなんて、絶対にくいよね。

 日本にいるとき、何度も写真を見て、しまいには有名な山は見ただけでどの角度から撮したものかまですぐ判るようになってしまった。行く前からよく知っているような気になってしまっていた。
 でも、実際に対面してみて、まったく判っていなかったことを嬉しいことに思い知らされた。写真で、こーんなに実物がばかでかいとは思いもよらなかったぞ。そして、さんざんじらされたあとに雲のカーテンの向こうからあらわれた3山は、身震いするほどの迫力と存在感だった。

「お前…何泣いてんの?」
「え…」
あわてて目に手をやると…
 感動からか安堵からか、気づかぬうちに私はぽろぽろと涙を流していたのである。

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