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ケアンズの南を目指せ **ビーチ&ファームステイ**

10.最後の青空




 十日目 5月7日(土)


 雲が燃えていた。
 それはもう、信じられないようなオレンジ色。
 それからゆっくりと水平線の上に漂う雲の間から、強く激しい日の出。

 今朝の海は紫ではなくオレンジ色だった。
 まるで階段のように波間を段々に照らして、ゆっくりと太陽が顔を出す。
 ほんの数分のページェント。
 けれど、天地創造でも見ているかのように、広がる海の上の夜明けの空は、毎朝ダイナミックなスクリーンになる。

 今日は旅行十日目。
 ミッションビーチに到着してから一週間。
 最後の自由日。
 明日にはもう、大陸を後にしなくてはならない。
 狭い飛行機で赤道を越え、ビルや屋根の合間から空を見上げるだけの日常に帰らなくてはならない。
 せめてこの空の色を心に焼き付けていこう。
 決して忘れないように。
 オーストラリアで過ごした日々がどんな色をしていたか、まぶたの裏とカメラのメモリに。

 昨夜また、テーブルでうろうろしていたちっぽけなヤモリを捕まえたので、みんなでお絵かきしてから逃がしてやった。
 パパの描いた絵を見て、カナもレナも「違う違う、そんなじゃなかったよー」
 「そうかなぁ、巧く描けたと思うんだけど」
 「全然違うよ」
 こういうときだけ連合を組むんだから質が悪い。
 その間にママは折り紙に勤しんでいた。
 アイカンダパークでシンディたちに折り鶴をプレゼントしたように、ウォンガリンガ・アパートメントのロラリーとウェンディにも何か贈りたい。
 滞在中本当にお世話になったから。
 前回と違って時間があったので、折り鶴はサイズ違いのバリエーションで8羽折ってみた。
 一番小さいのなんて指先に乗るくらい。
 悪いけど、そんじょそこらの人には折れまい。
 重ね箱も前回同様6ピースの3箱。
 さらにせっかくだから一番小さい箱からも何か飛び出すようにと、カエルも一匹折ってみた。
 完璧だ。

 朝御飯はもう、あるだけの食材を出した。
 明日は起きてすぐ出立しないと間に合わない。
 あとはもう、今夜の分を残して終わりだ。
 空模様が怪しかったので、今朝はバルコニーで食べるのは諦めた。
 そして、その予想はぴたりと当たり、明るい日の射していた上空は突如としてかき曇り、いきなりバケツをひっくり返したような猛烈なスコールが襲ってきた。
 もう笑っちゃうような大雨。
 バルコニーで食べていなくて良かった。
 そして数分後にはもう雨雲はどこかに流され、まるで雨で磨き上げたような鮮やかな青空がのぞいた。
 激しく気まぐれなミッションビーチのお天気。
 椰子の葉の間からのぞく太陽の眩しいこと。

 スコールを逃れてきたのか、緑色の羽を持つ美しい蝶がバルコニーの葉陰にとまった。

 雨上がりの空は日本の夏空にも似ていた。
 パパは別れが惜しくてカメラを持ってウォンガリンガの周辺を一回り。
 本当に明日にはお別れだと思うと名残は尽きない。



 今朝は水着に着替えてミッションビーチで遊ぶことにした。
 本当は月初めの土曜日に開かれるというミッションビーチ・マーケットに行きたかったのだが、ロラリーに今はやっていないと聞いて諦めたものだ。
 今日、ミッションビーチマーケットに行くから、昨日ダンク島行きを入れてしまったが、昨日はとにかく酷いお天気で、今日にしておいたら良かったのにと改めて後悔した。

 それが、車でミッションビーチのメインストリートを抜けて、インフォメーションセンターの隣、Ulysses Linkウォーキングトラックの入り口辺りを通りかかると、なんとマーケットが開催されていたではないか。
 あれ?
 マーケットはやらないんじゃなかったっけ。
 するとやっぱり昨日、ダンク島の送迎車から見たマーケット会場の表示は合っていたんだ。
 どうする? とパパと顔を見合わせる。
 マーケットで着せるつもりで子供たちの浴衣も日本から持ってきた。
 日本人が少なく、地元のギャラリーが多ければ多いほど受けると去年のポートダグラスで知ったから。
 でも今更戻って浴衣に着替えさせたりしたら、絶対子供たちはブーイング。
 それどころか今マーケットに寄ると言っただけで、海に行くんじゃなかったの?とぶつぶつ言うのは目に見えている。
 「水着のままだけど、せっかくだから寄ってみようよ」

 ミッションビーチ・マーケットの規模はポートダグラスのサンデーマーケットより小さい。
 観光客の姿もまばらだ。
 置いてあるものは、植木、古本、手作りジャム、アクセサリー、パレオ、工芸品、野菜や果物・・・。
 小鳥も売られている。
 小型のインコたちが一羽10ドル。
 ワインも売っていた。
 この辺のワインじゃなくて何故かアサートン高原のハーバートンの。
 ユリシスのマークでPacific Blueというワイナリー。ここはトロピカルフルーツだけじゃなく葡萄のワインもあるみたい。
 パパはまた、カナとレナにお買い物の許可を与えた。
 マーケットで何かほしいものを買ってあげる。

 二人が最初に目をとめたのは、アクセサリーショップ。
 色とりどりの手作りの指輪が並んでいる。
 カナはシンプルな指輪をほしがったが、レナは花の形が良いという。
 絶対同じのにしないと喧嘩するくせに。
 「じゃあこれ・・・」
 「レナもそれならいい」
 三色の指輪。
 でもあなたたちの指にはちょっと大きいよ。
 「これがいい」
 言い出したらきかない。
 じゃあ日本に帰ったらリボンかチェーンをつけてネックレスにしてあげよう。
 売っていたのは金茶の髪の親子で、指輪は綺麗なサテンの布で包んで細いリボンをかけてくれた。

 ぐるりと会場を一周しようとしたら呼び止められた。
 「ハーイ」
 それは一昨日の夜、Scotty'sで出会ったサウス・アフリカンの一家だった。
 ピンク色のクロスをかけたテーブルに、ビーズやターコイズのアクセサリーを並べて売っている。
 彼らは旅行者ではなかったのだ。



 公園のマーケット会場を一周し終えて、カナはもうひとつ買う物を決めていた。
 彼女は「これ」と決めると最後まで心を動かさないタイプ。
 「人形のドレス・・・」
 確かにあれは目に付いた。
 レース糸のような極細ニットで編んだ手作りのバービーのドレスを売っている店があったのだ。
 タリーで買った安物のドレスとは大違い。
 かなり手が込んでいて、完成度が高い。しかもオリジナルだ。
 パパはあまり乗り気でないようだったが、カナがもうこれしかほしくないというのでその店の前まで戻ってみた。
 店の主はCarol Moodyという女流詩人で本も出版しているらしい。
 ドレスはこれまた手作りの小さなワイヤーハンガーに掛けられていて、ディスプレイされている。
 バービーを持つ女の子なら誰でも足を止めるだろう。
 カナは真っ先に多色遣いのワンピースを選んだ。
 上半身がオレンジと白、スカートの部分がグリーンと白のボーダーだ。
 ピンク色を選ぶと思っていたので意外だった。
 レナはなかなか決められない。
 これなんかどう?と、ピンクのドレスやピンクと白のワンピースを見せたが首を縦に振らない。
 「・・・これ」
 レナの選んだカラーも意外だった。
 上半身がオレンジで、スカートは白。
 「これはロングスカートだからちょっと高いけどいい?」と店の主が言った。
 ああそうか。長いスカートがほしかったのね。
 このドレスは丈が長くてフレアも大きいから、お姫様にぴったりだと思ったんだ。



 結局今回も、マーケットでは子供たちのほしいものしか買えなかった。
 私がゆっくりショッピングできる日はいつだろう・・・。

 その後は最初の予定通りミッションビーチのスティンガーネットエリアへ。
 ちょっと雲が多いがまあまあのお天気。
 ダンク島もくっきり。
 今日、ダンク島行きだったら、きっと昨日のようなことにはなるまい。
 広い広いビーチはもう目線の限り果てまでも続いていて、
 「絶対またここに来ようね」
 「そうしよう・・・」
 ケアンズ周辺、どこへ行っても楽しいことばかりだったけど、この海岸はまさに探していた楽園そのもの。

 子供たちは浮き輪にしがみついて波に遊ばれていた。
 スティンガーネットは、クラゲ除けという以上に子供の事故防止にとても役立つ。
 とにかく流されていってしまうということがないから。
 波のある天然プールみたいなもの。
 ビーチの砂は決して白くないけれど、さらさらして裸足の足の裏にとても気持ちいい。
 あっ、空にまた、スカイダイビングのパラシュートが。
 三つ、四つ・・・。
 ガイドと客とタンデムになって、頭上高いところをパラセーリングのようにふわふわと浮いていると思ったら、やおらひとつずつ回転しながらビーチに降りてきた。
 海の上でくるりと回って、目の前の砂浜に見事に着地。
 あれよあれよと言う間に、全員空の旅を終えて降りてきた。
 うわぁ、怖そう。
 私は高所恐怖症だから絶対できないと思う。
 それともやってみたら楽しいのかな。



 ランチはまたミッションビーチのメインストリートで。
 ここでランチを食べるのは三度目になる。
 今回はCafe Geckoというヤモリマークのオープンテラスを選んでみた。
 いきなりSushiと書かれたメニューを発見。
 日本人相手の店とも見えないので、スシを食べたいオージーのためのメニューなんだろうか。

 ハンバーガーとサーモンの野菜ロールを頼んだ。
 最初は一個ずつで足りるかなと思ったが、すぐにそうだ、オージーサイズなんだもの、足りないわけがないと思い直した。
 運ばれてきたハンバーガーは案の定これ、どうやってかじるの?というビッグサイズ。
 野菜のロールはインドのナンを薄くしたような生地に生野菜とスモークサーモンがぐるぐると巻かれたもの。こちらも大きい。
 海沿いのビーチで特に予定も立てずにのんびり一週間。
 夢のようだった。
 楽しい日々も今日で終わり。
 ああ、日本に帰りたくない。

 ウォンガリンガ・アパートメントの前まで戻ってきて、パパが車庫に車を入れに行っている間、ぼうっとアパートメントの建物を見上げていたら、これで見納めだから大サービスというように、青い蝶ユリシスが二匹も三匹も飛んでいった。



 午後の予定は決まっていた。
 マッサージを依頼していたのだ。
 申し込んだとき、管理人のロラリーは「お子さんたちはプールで遊ばせればいいわよ。ママはリラックスしてきて」と言っていた。
 てっきり有名なアンサナなどのスパのように、どこか専用の場所があるのかと思っていたが、パパに車で送迎してもらおうと思って場所を聞いたら、ロラリー曰く、
 「あら、ここに来てもらうのよ」
 えっ、出張マッサージだったんですかい。
 あはは知らなかった。
 なので当然ベッドルームを使うものと思い、パパが綺麗にベッドメイクもしておいてくれた。
 ところが・・・。

 部屋に戻って1時半。
 マッサージを依頼した2時まであと30分しかない。
 大慌てでシャワーを浴びた。
 服はどうするのかな・・・。
 何か専用のガウンみたいなのでも着用するんだろうか。まあいいや、とりあえず適当な服を着ておこう・・・と何も知らない私。
 1時45分頃ドアがノックされて、
 「ハロー」と入ってきたのは、ちょっとアジアンテイストなウェアを身につけた綺麗なお姉さんだった。
 「えーと、バルコニーでいいかしら」
 え?
 何か重そうなものを下げている。
 バルコニー移動した彼女のその手提げから出てきたものは、折り畳み式のベッドだった。
 うわぁ、こんなに大きいものを女性一人で持ち歩いているんだ。
 と、いうより、えっ? バルコニー?
 彼女はバルコニーの中央にベッドを備え付け、それから少し考えて日陰にベッドを移動させた。
 いつの間にか空はいい天気になっていて、「そこはちょっとHotだから」と彼女は言った。
 た、確かに薄暗いベッドルームじゃあまり雰囲気でないけど、まさかバルコニーでやるとはヤラレタ。

 「うつぶせになって足、体、首、それから仰向けになって腕とデコルテをやるわ。別にあなたはただリラックスしていればいいから」
 そして
 「全部脱いでね」
 え、ええっ。
 ぜ、全部脱ぐんですかい? ここ、オープンエアですけど・・・。
 「大丈夫、私は見ないから」と彼女は目を隠すジェスチャーをしてみせた。
 ひゃ~。

 何だかよく判らないまま、言われた通りにしてマッサージベッドに上がった。
 このベッド、鯉の乗る、まないたのような気がしてきた。
 うつぶせになると、ぱさりと布が掛けられた。
 あっ、何かいい匂いがする・・・。
 昔、まだレナがお腹の中にいた頃、沖縄のカヌチャリゾートでアロマのフットマッサージを受けたことがあった。
 そのときセラピストの女性に、妊娠中は流産・早産の危険があるといけないからアロマは使いませんと言われて、単なるオイルマッサージになってしまった。
 どんなアロマを使ってくれるのかなぁと期待していただけにがっかりだった。
 そんなこともあって、今回もどんな香りがするのかかなり気になった。
 何の匂いかな。
 スーッとする清涼感のあるよく知っている匂い。
 あっ、タイガーバーム!!
 ・・・な、わけないか。
 ここはオーストラリア。
 これはユーカリオイルだ。

 マッサージは足から始まった。
 ちょっと力加減が強いかな。
 仕事をしていた頃、職場が西新橋のオフィス街だったので、よく新橋界隈のクイックマッサージに通っていた。
 だからちょっとマッサージの腕には五月蠅いかも。
 力加減は強いと感じさせないのに効くのが一番良い腕なのだが、今回はまあ60点というところ。
 ただ、うつぶせになった背には海の風が感じられ、耳元には寄せては返す波の音・・・。この環境で受けるマッサージは、もう腕はさっ引いても200点満点。
 こりゃいいや。
 来年来たら、また頼もう。

 いつの間にかプールサイドから聞こえていた子供たちの歓声も消えて、楽園の夢心地。

 そうっとマッサージの手が放れて、少し離れたところでセラピストの彼女と下のプールサイドにいるパパが話している声が聞こえた。
 「ええそう、彼女はリラックスして寝ちゃったわ」
 ちょっと待て。
 寝てないってば。
 思わずがばりと起きあがった。
 「フィニッシュ?」
 「フィニッシュよ」
 終わりなら終わりって言ってよー。
 動いちゃいけないのかと思って固まっていたよ。

 施術料は1時間で45ドル。
 パパがお釣りもあげちゃっていいよと50ドル札を置いていった。
 こちらが服を身につけている間、彼女はちゃっちゃとベッドを畳んで手提げに仕舞った。
 いつ払えばいいんだろう。
 彼女は既に両手に荷物を提げている。
 「お代は・・・」
 「そこに挟んでくれる?」とベッドの入った手提げ鞄を顎で示された。
 50ドル札と、ふと思い立って折り鶴も一羽一緒に挟んだ。
 「じゃあね」
 そう言うと彼女は颯爽と階段を下りていった。荷物の重さも微塵も感じさせず。
 ふむ。
 釣りはいらないと言うどころか、こういうとき釣りをくれなんて野暮なことを言ってはいけないわけね。
 店を構えず各アコモデーションにちらしだけ配り、連絡があったときだけやってきて仕事する。ほとんど元手はかからず、腕一本が勝負。なるほどねぇ。



 マッサージが終わったので、プールサイドに降りてみた。
 プールではカナとレナとそれからロラリーの娘さんが泳いでいた。
 金髪でスレンダーな彼女は9歳。
 学校が終わるとよく管理棟にやってきてパソコンで遊んだりしている姿を見ていた。
 アイカンダパークのセイラと比べると、もちろん年も違うのだがもっと垢抜けていてはにかみやだ。

 「途中からカナとレナの声が聞こえなくなっただろ?」
 「うん・・・聞こえている間は喧嘩せずちゃんと遊んでいるんだなと安心していたんだけど、ぷっつり聞こえなくなった」
 「せっかくだからBGMは波の音だけにしてやろうと思って、海岸へ連れ出していた」
 そりゃお気遣いどうも。

 明日は朝早く出発するから、今日のうちに精算を済ませたいとパパはウェンディに伝えた。
 「今日はロラリーは?」
 「ビーチにいるわよ、呼んで来るから待ってて」
 ほどなくしてロラリーも管理棟にやってきた。私たちはロラリーとウェンディの二人が揃っているところを初めて見た。
 ロラリーはやってくるなり、「どう? リラックスできた?」と私に聞いた。
 「ええ、そりゃもう」
 「気に入ってもらって良かったわ」
 パパが今朝ウォンガリンガの周りを歩いて描いた見取り図を取り出した。
 「ここの敷地はこんな風でいいのかな」
 「ええそうよ、もしかしてあなたは建築家?」
 「まさか」
 単に次に泊まるならどの部屋がいいかなと考えて作ったんじゃないのかな。
 彼はとにかくこのアコモを気に入っている。
 もう今まで泊まったオーストラリアのアコモの中でダントツ。次に泊まるのも絶対ここと心に決めているほどに気に入っている。
 たぶんウォンガリンガに泊まるために、我が家は来年もミッションビーチに来るだろう。

 それから今朝作った折り紙セットを渡した。
 「ワン、ツー、スリー・・・・エイト」
 順々に小さくなる鶴を見て、ロラリーもウェンディも目を丸くして「クレバー」と言ってくれた。
 そして最後に重ね箱をロラリーの娘さんに開けてもらって、中から「フロッグ」と言ってカエルを取り出してみせた。
 こんなに喜んでもらえると、折り鶴という特技があって本当に良かったと思う。
 日本では鶴なんて珍しくもないけれど。
 ロラリーが、全部作るのに何時間ぐらいかかったの?と聞いてきた。
 「30分かな」
 目の前でささっと一羽折りあげてみせる。
 「Wow」

 「みんな揃って写真を撮らせてもらってもいい?」
 みんなでプールサイドに並んだ。
 一週間、ありがとう。
 楽しい時間をありがとう。
 またきっとここに来ます。
 空を見上げると綺麗な青空だった。
 初めてミッションビーチに到着した日のように、透き通った青空だった。

 パパがプールサイドのバーベキューセットが空いているなら、今夜も使わせてもらおうと言った。



 プールで存分に遊んだ子供たちをお風呂で温めて、それから最後のディナーのためにワンピースを着せようと思った。
 そうしたら、スーツケースの中をのぞいたカナが「これ着たい」と言ってやおら浴衣を引っぱり出した。
 そういえば今朝のマーケットで着せられなかったから、せっかく持ってきたのにまだ一度も袖を通していない。
 「でもお外でバーベキューだよ、浴衣が汚れちゃったら困るんじゃない?」
 「いいよ、着せてやろうよ」とパパ。
 まあ、せっかく持ってきたんだしね。
 一人もギャラリーがいなくてもいいか。

 ギャラリーが一人もいないわけではなかった。
 サラダやフルーツの準備をしていると、プールサイドから荷物を取りに戻ってきたパパが、「凄いよ、浴衣を着せて連れていったら、もうロラリー大喜び。わざわざ娘を連れてきて並べて写真撮りまくってる」
 あ、そ、そうなの。
 そんなに喜んでもらえたなら良かったわ。
 オージーって浴衣が好きだものね。
 着せてみて良かったな。

 お皿やコップを持って下に降りてみると、もうロラリーたちの姿は無かった。
 プールサイドに立っている浴衣娘二人は、何だかミスマッチで可笑しかった。
 それでも一応、キモノは日本のお姫様のドレスと思っている二人は、いつもよりお淑やかに席に着いた。
 だんだんと太陽が低くなり影が長く伸びてくる。
 今日の夕食は、いつぞやのシーフードの残りを焼いた。
 特に海老はぱりぱりに焼いて塩をふって食べると美味しい。
 子供たちに食べさせたり自分もワインを飲んだりしながら、時々ビーチに出てみた。
 夕暮れの空はますます晴れて、沖に浮かぶ島々がシルエットになっている。
 やっぱりここは本当に美しい場所だ。

 子供たちがひとしきり食べ終えた後だった。
 ロラリーが娘を伴って戻ってきた。
 手にはスーパーでくれるような大きなビニールの袋を下げている。
 「これ、もらってちょうだい」
 袋の中から出てきたのは、赤くて丸くてひげもじゃの、見たこともないフルーツだった。
 「○×△」
 「えっ?」
 「ライチ」(と、聞こえた)
 でも私の知っているライチと全然見てくれが違う。
 「・・・ランブータン?」
 「?」
 「・・・ドラゴンフルーツ?」
 「?」
 とりあえず自分が見たことのないトロピカルフルーツの名前を挙げてみるが、やはりロラリーの発音はライチと聞こえる。
 「こうやって食べるのよ」と、ロラリーは言うと、娘を振り返り肘でこづいた。
 シャイなロラリーの9歳の娘は、一瞬どうしようか逡巡したが、次の瞬間意を決したように大きな口を開けて謎のフルーツに噛み付き、噛み切った。
 中からは白い果肉が出てきた。
 ロラリーの娘は、母の言いつけだから囓って見せたけど、本当はすごく恥ずかしかったんだからという顔をして後ろに下がってしまった。
 真似して囓ってみた。
 外側は渋いが、白い果肉はとても甘く、確かにライチとしか思えない味だった。
 「どうもありがとう。本当にこんなにもらっていいの?」
 「これ、日本でも手に入る?」とロラリー。
 「(ライチなら)冷凍物はあるけど、フレッシュなものは滅多に食べられない。こんなに美味しいのは初めてよ」
 「そう、良かった。この辺りではこれと、バナナとパイナップルとメロンが採れるのよ」
 ロラリー親子が立ち去った後、袋の中から全部出してお皿に盛ってみた。
 大きな皿に一山ある。
 嬉しいなぁ。なんて贅沢な気分。
 ちなみに日本に帰ってから調べたら、この謎のフルーツはやっぱりライチではなくランブータンだった。

 残照がウォンガリンガの建物の向こうにゆっくりと消えていく。
 雲の裾がピンク色に染まっている。
 もう一度ビーチに出てみた。
 海の上の広い空は、ピンクと水色のグラデーションに染まっていた。
 昔、マッターホルンの朝焼けを見たときのような色合いだ。
 あのときの凍てついた早朝の空が冷たく宝石のような研ぎ澄まされた色だったのに対し、今のミッションビーチの夕暮れは、もうすこし暖かく懐かしい色。
 ここで見る最後の日没。
 ここに来て良かった・・・。



 食後、子供たちは何故かプールで泳ぎたいと言いだした。
 信じられない。
 もう日が落ちて真っ暗だし、第一あなたたち、さっきまでずっとプールで泳いでいたじゃない。
 パパが最後だから泳がせてやればと言うので、もう一度水着に着替えさせた。
 夜のプールは底からライトアップされていて、それが気になって水の中に入りたくなったようだ。
 見上げると星がきらきら。
 今夜も満天星だ。

 ふとロラリーがまた一人で戻ってきた。
 「今夜8から9時の間に、ダンク島からライトアップした大きな船がやって来るわ。バルコニーからでも見えるわよ」と教えてくれた。
 うーん、バルコニーは海岸沿いの椰子の木がじゃまで、ダンク島の方向は見えないと思うけど・・・。
 そうしたらビーチで見物していればいいか。
 ライトアップした大きな船。どんなのかな。
 流石に夜のプールは寒かったのか、カナもレナもすぐに上がってきた。
 シャワーで温め、寝間着に着替えさせるとすぐに寝てしまった。
 今日も十分遊んだことだろう。

 7時半。
 パパが花火が見えると呼びに来た。
 急いで階段を駆け下りると、ちらっと海上に大きな花火が上がっているのが見えた。
 早く早くと思ったけれど、ビーチに着いたときにはもう花火は終わっていた。
 「でも一応見えただろ?」
 「写真には撮れなかったけどね」
 今の花火はダンク島から上がっていた。
 ロラリーの言っていたライトアップした船と関係あるんだろうか。

 花火はじっくり見られなかったので、せめて船の方は見逃さないようにしようと、8時前にはワインを手にビーチへ降りていった。
 昼間と違って満潮で、波がすぐそこまで迫ってきている。
 暗いのでよく見えないが、うっかり砂浜を踏み出すと足をすくわれそうだ。
 波打ち際のベンチに座って、船を待つことにした。
 今までずっとひと気の無かったウォンガリンガの隣の豪邸に、今夜は灯りが灯っている。
 週末なので誰か泊まっているらしい。
 豪邸の照らす灯りで、波間がオレンジ色に光っている。
 寄せては返し、寄せては返し・・・
 二人っきりで暗い夜の海とダンク島にちらちらと見えるリゾートの灯りを見ている。
 長い長い10日間だった。
 楽しい時間はあっと言うまだなんて言うけれど、凝縮されたここでの時間はむしろとても長く感じた。
 今こうして波の音を聞きながら夜風に吹かれていて、明日現実世界に帰ることが信じられないようだ。

 「・・・ところで今何時?」
 「8時45分」
 「もしかしてまたガセネタだったか、ロラリー~」とパパ。
 「い、いや、もしかしたら波が荒くて船は中止になったのかもよ」

 そう。
 ついにダンク島から船は来なかった。


 最終日「虹に始まり虹に終わる旅」へ続く・・・
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