ポートダグラス楽園日誌2004-3

3.熱気球で大空へ


 三日目 7月16日(金)


 夜明け前の満天の星空の下、海沿いのハイウェイを南へとばしていた。
 海に星灯りが映っている。
 崖に面したワインディングロードは、街灯一つないもののラインと道路標示には反射板が使ってあり、夜の滑走路のように行き先を示してくれる。

 ようやく地上の灯りが増えてきた頃、スミスフィールドに着いた。
 このあたりで一番大きなラウンドアバウトを過ぎて、マクドナルドと24時間営業のシェルのガソリンスタンドが目印、キュランダに至るスカイレールの駅の隣、ジャプカイ・アボリジナル文化パークの特徴的なテントのシルエットが浮かび上がっていた。

 ジャプカイはこのあたりのアボリジニの種族名。この文化パークでは伝統的なダンスのショーやディージュリドゥーの演奏などを見ることが出来る。

 しかし今日ここに来たのはダンスを見るためではない。空を飛ぶためだ。
 マリーバで飛ぶ熱気球のツアーにピックアップしてもらうため、夜もまだ明けやらぬうちから、ポートダグラスよりレンタカーを駆ってここまで来たのだ。

 ケアンズでのオプショナルツアーには、GBRのクルーズや急流下りのラフティングなどいろいろ種類があるが、その中でも熱気球のツアーは、早朝のアクティビティなので帰国前の午前中にもできることで知られる。
 別に帰国日にやろうとは思わないが、一度気球で空を飛んでみたくて、去年もいろいろ考えてみた。
 オーストラリアの法律では3歳以上であれば気球に乗ることができるらしいが、実際はツアー催行会社によって年齢制限はまちまちだ。
 日本のツアー会社のオプショナルツアーなどで使われるレイジングサンダー社は5歳以上でないと乗れない。
 幸い、もうひとつのホットエアー社は4歳からなので、去年は無理でも今年はきっとレナを連れて乗れるだろうと思っていた。

 気球を飛ばすのはアサートン高原の草原の町マリーバだ。
 ここなら去年も通ったことがある。
 ポートダグラスから行く場合は、海沿いの道ではなく山(マウント・モーロイ)側の道を使った方が地図で見る限りかなり近い。
 ツアーの送迎を頼むと、せっかくはるばるマリーバまで行きながら、帰りは朝の10時過ぎにポートダグラスまで連れ帰られてしまう。加えてポートダグラス発着は割高だ。どうせならレンタカーでマリーバまで行き、ツアー終了後、マリーバで解散させてもらえばマリーバ観光をして帰ってこられる。それが八方丸く収まるだろうと思ったのだが、実際はそんなに簡単には行かなかった。

 日本語対応でホットエアー社を扱っている会社が他に見つからなかったことからトラベルターザンを選んだ。料金も全体的に他の会社より安く設定されている。
 ここで現地集合、現地解散でお願いしたいと伝えたところ、最初の回答は不可能。その後数回のメールのやりとりで、ジャプカイでピックアップしてもらうことに決まった。
 ジャプカイ経由だとかなり遠回りなのは確かだが、気球フライト後の朝食会場がジャプカイなので、解散時には都合がよいことになる。
 その日の午後はマリーバ観光に当てようと考えていたが、この変更でキュランダ・スミスフィールド観光に切り替えることにした。

 暗闇の中でツアーバスを待つのは胃が痛い。
 明るい時間にホテルのロビーで待つのと違って、ツアーバスが来なかったらと思うと気が気ではない。
 時間より5分ほど遅れて、ようやくバスが駐車場に入ってきた。
 パームコープなどのホテルを回ってきた便だ。10人ほど先客がいて、日本人も他に一組。私たちを含めて二組の日本人のために、日本語のガイドも一人ついていた。

 ジャプカイが最後のピックアップ場所で、ツアーバスはそのままキュランダに至る葛折の道をすごいスピードで登り始めた。
 車窓の景色は相変わらず黒一色。
 レナはすぐに寝てしまったが、カナはなかなか寝付けないらしい。ようやく彼女がうとうとしたころ、マリーバのどこかに着いて、トイレ休憩になった。
 気球をとばす場所まではあと4分ぐらいで到着するという。
 ここはホットエアー社だけでなく、レージングサンダー社も利用するので、駐車場は二社の送迎マイクロバスがそれぞれ数台ずつ停まっていた。

 再び走り出すと、ようやく空が白み始めた。
 濃紫の天空に明けの明星、地平線近くに新月間近の糸のように細い月。
 サバンナの夜明けという感じだ。
 がたがたの道をバスがとばすので、ときおりバウンドするような感じになる。

 着いた場所で子供たちを降ろしていると、もう目の前では気球が膨らまされている。
 ゴオッ、ゴオォォォとバーナーの火が点火される度に、ゆっくりとゆっくりと巨大な風船が頭をもたげる。
 隣にもうひとつ別の気球があって、そちらもだんだん膨らんできた。
 すごいすごい。

 黎明の光の中、二つの気球が並んだ。
 あれよあれよという間にひとつが地面を離れる。
 いつの間にか乗客が乗っていた。みんな手を振っている。
 そしてまた、気づかぬうちに空には他にもいくつも気球が浮かんでいた。

 熱気球ツアーには30分コースと1時間コースとエクスプレス便というのがある。
 熱気球は一回のフライトが約30分で、一日2回続けて飛ばす。
 夜明けとともにフライトなのは、熱帯性気候のケアンズでは気温の低い早朝でないと飛ばせないためで、日が出て気温が上がると温めた空気が上昇する原理で飛ばす熱気球は飛ばないことになる。
 1時間コースというのは、30分コースのフライトを二回続けてやることになる。
 エクスプレス便というのは、帰国の飛行機など予定が詰まっている人のために、先の便で飛ぶことを言うらしい。
 私たちは2便だった。
 日本語のガイドは、2便の方が気温も上がって寒くないし、気球の片づけもできるからいいと教えてくれた。
 実際所要時間は長くかかるが、私たちは2便で良かったと思う。
 フライト中は実は寒くない。狭いバスケットにみんなで乗るし、バーナーの火が近いので温かい。寒いのはむしろフライトを待っている時間だ。
 だから2便で一番良かったと思ったのは、1便が飛び上がるところと降りてくるところを全て間近で見ることが出来たことだ。
 気球はフライト中も楽しいが、最も感動的なのは乗っている見ているに関わらず、飛び上がる瞬間だからだ。



 さて、気球は風任せで飛ぶ。
 だから発着地点はいくつかあるが、その日にならないとどこから飛び、どこに降りるかは判らない。
 1便が飛び立った後、2便メンバーは早速バスに乗り込み、飛び立った気球の後を追うことになる。
 急げ。
 急げ。

 バスは走り、道の分岐で一時停止、気球の位置を確認した後、湿原地帯の道に入った。
 空は晴れているが、大地にはぼんやりと靄がおりて幻想的な光景だ。
 やがてバスが入れない細い農道に着き、4WD車が牽引する荷台に全員で乗り換える。
 がたがたの畦道だ。
 気球がだんだん高度を下げてくる。
 湿地帯に降りるらしい。
 ゆっくり斜めに降りてくる。
 車は途中で停まり、全員荷台から降りた。
 少し離れた草むらに気球は軽やかに着地した。

 湿った草を踏みながら、みんなで気球に歩み寄った。
 さあ、1便と2便の交代だ。
 一人が降りて、一人が乗り込む。
 全員でいっぺんに降りてしまうと気球が再び浮上してしまうので、できるだけ体重が均等になるように順番に乗り降りする。
 気球のバスケットは四つに仕切られており、そのうち一つに我が家の四人と、もう一組の日本人のうち、奥さんの方が乗り込んだ。ご夫婦での参加で、旦那さんは隣の仕切りだ。
 レナはもちろんカナも身長が足りなくてバスケットの外が見られない。
 昇降用の足かけ穴から外をのぞくか、抱っこしないと駄目だ。でも抱っこするのは怖い。身を乗り出して落ちたらと思うとゾッとする。
 ゴォォォッと耳元でバーナーの音がして、温められたバルーンはゆっくりと浮き始めた。
 みるみる今まで立っていた草むらが離れていく。
 1便に乗っていた人たちと、ガイドの女性が行ってらっしゃいと力一杯手を振ってくれた。


 ぐんぐんと高度はあがり、眼下に赤い大地と乾いたユーカリ林、農場に湿原、さらに遠くの山々と雲の間からのぞく朝の日差しが見えた。
 湿地帯から鳥たちが群れなして飛び立つ。
 頭上は青空、東には雲。
 雲の切れ目から光のシャワーのように細い陽光が大地に降り注ぎ、地上に残っていた白い靄をゆっくりと消していく。

 隣に乗っていた奥さんが、「野生のカンガルーが見えるって聞いたけど」と言った。
 残念だけど今日はカンガルーは見えないらしい。
 だけどマリーバのゴルフ場に行けば、うじゃうじゃと野生カンガルーがいるのだから、日によっては草原をジャンプしている姿が見えるのだろう。

 30分というフライト時間は十分すぎるほどだった。
 飛行機に乗っているのとは違って、生身のままガラス越しでもなく空を飛ぶというのは不思議な体験だった。
 前にどきどき夜行性動物探検ツアーで白オウムの群れを見た林が見えてきたと思ったら、その近くのピーナッツ畑が着地地点だった。
 背の高いさとうきび畑がみるみる近づいてきた。
 さとうきび畑が切れたと思ったら隣は収穫を終えたピーナッツ畑で、ここの外れに軽い衝撃と共にバスケットは着地した。
 着地と同時に既に下でスタンバイしていたツアー会社の屈強な男性が何人かバスケットに飛びつき、浮上しないように抑えた。

 乗客が全員下ろされると、気球の後片付けだ。
 どうやってバルーンの中の空気を抜くのかと思ったら、頂上が開くようになっているのだ。
 熱された空気はそこから抜けていき、あっという間に巨大な気球はしぼみはじめた。
 日を浴びた朝顔の花がしぼむようにすぼまっていき、それをみんなで力をあわせて折畳んだ。
 丸く大きかったバルーンは、すっかり細長く畳まれたシートに過ぎなくなってしまった。
 みんなで後片付けをしながら、足元に落ちている収穫から取りこぼされた生ピーナッツを拾ってはむいて食べていた。

 朝日が高くなると、いつの間にか雲はみんな明るい日差しに融けてしまい、紺碧の空にぎらぎらとまぶしい太陽が輝いているばかり。
 驚くほどコンパクトになってしまったバルーンの後にバスケットを四人がかりで荷台に載せて、2便のメンバーもその周りにつかまって乗った。
 がたがたと車は畦道を走り、ちびすけレナは送迎バスのドライバーが抱き上げてバスケットの中に乗せてくれた。彼はちょっとロードオブザリングのガンダルフに似ている。
 カナはちょっとレナを羨ましそうに見ていたので、彼女も抱き上げられてバスケットに入れられた。
 じりじりと暑い日ざしが照りつけ、荷台にしがみついていると背中をときおりさとうきびの長い穂が打つ。
 ようやく農道を出るとバスが待っていた。

 砂煙を上げてバスは走りはじめ、再びキュランダの葛折を今度は猛スピードで下っていく。
 ジャプカイまではあっという間だった。



 ジャプカイ・アボリジナル文化パークは、レストランを利用するだけなので正面玄関ではなく、レストランや売店に直結している裏手の入り口から入る。
 シロアリが空洞にした筒状の楽器ディジュリドゥーや、点描で描かれた抽象的なアボリジナルアートのギャラリー兼売店を過ぎて、ブーメランレストランに着いた。
 入り口側のテーブル席ならどこに着いても良いと言われる。
 食事はビュッフェ形式でツアー料金に含まれている。
 パパがトイレに席を立った直後、たまたまアボリジニのダンサーが一人通りかかった。体には独特のペインティングがなされている。
 思わずカメラを向けたら、彼はにっこり笑って近づいてきて、カナと並んでポーズを取ってくれた。大サービスだ。

 ここのビュッフェには、パン、ポテト、ベーコンやソーセージ、フルーツなどの欧米的なメニューが並ぶほか、ご飯(ちょっとバターライスみたいな・・)、みそ汁(汁と豆腐が別々になっていて、自分でボウルに適量入れる)など妙に日本人を意識した料理が混ざっている。
 ハーブとソルトの利いたポテトがとにかく美味しかった。
 カナとレナはお米が食べたかったらしく、ご飯をせっせと口に運んでいた。

 日本語ガイドの女性がドライバーを伴って席に近づいてきた。
 実はさっきバスの中で、明日もマリーバに来る予定なのだがロデオ大会の会場を知らないかと聞いてみたのだ。
 彼が教えてくれると言う。
 パパは車から地図を取ってきた。
 マウント・モーロイ側からアクセスすると町に入る手前、ゴルフ場のところで右折するという。ゴルフ場って野生カンガルーがわんさといた、あのゴルフ場だよね。

 そういえばバスの中でガイドの彼女もまだ実はマリーバのロデオ大会には行ったことがないと言っていた。
 どのくらいの規模の大会なのだろう。見当も付かない。
 そのとき彼女に「こちらにお住まいなんですか?」と聞かれた。
 えーっと・・・こちらってオーストラリアにってこと?
 まさかまさか日本からの旅行者です。
 「ずいぶん行動的なんですね」
 ホテルの送迎を使わずレンタカーでジャプカイに現れたことや、マリーバのロデオ大会について質問したことがそう思わせたらしい。

 ゆっくりのんびり朝食を取っていたら、一番ビリになってしまった。
 日本語ガイドの彼女も「それじゃどうぞ、ごゆっくり」と挨拶をして行ってしまった。ツアーに含まれるこのビュッフェには時間制限はないのだろうか。無いならそれでありがたい。
 さてこの後は、キュランダのレインフォレステーションに行く予定にしていた。
 キュランダは過去二回訪れたことがある。
 最初はパームコープに滞在したときで、行きは当時できたばかりのスカイレール、帰りはキュランダ観光鉄道を使った。
 マーケットをぶらぶらして、バタフライサンクチュアリに入った。まだコアラガーデンなどは無かったように思う。
 もう一回は去年の子連れ旅行で、アサートン高原ドライブの帰りに立ち寄ったのだが、あいにく午後4時を回ったところでみな店じまいを済ませたところだった。

 だから今回は鉄道やスカイレールに乗るつもりはなかった。マーケットも明後日ポートダグラスのサンデーマーケットに行く。コアラには特に興味はないし、そもそも抱っこができる身長は120センチ以上なのでうちの子供たちには無理なのだ。
 そこで考えてみたのがレインフォレステーションのアーミーダック。水陸両用車で熱帯雨林をつっぱしるなんてちょっと面白そう。

 最初はアーミーダックを予約することも考えた。
 達人のムースオジさんやオタクの母さんから効率よくアーミーダックに乗るためのアドバイスをいろいろ頂いたからだ。
 だが、決まった予約フォームもなく、一から英語で予約したい旨書かねばならないと思うと、フライトまで半日程度の余裕ではとても荷が重すぎた。
 熱気球ツアーを依頼したトラベルターザンはエクスプレス便のみの取り扱いだった。だからツアー終了時間も予定では9時にはケアンズのホテル着となっていて、ジャプカイでの朝食はそれ以前に終わらせることになっていた。
 私たちは結果的にエクスプレス(1便)ではなく2便でフライトした。それは私たち自身にとって好都合だったわけだが、全てが終了したとき、時計はとうに10時を回っていた。
 だから時間が計れず、アーミーダックの予約を入れなかったことは結果的には幸いだったわけだ。

 そしてさらに予定外のこと。
 子供たちがスカイレールに乗りたいと言い出した。
 何しろジャプカイ・アボリジナル文化パークのレストランからは行き来するスカイレールのゴンドラが間近に見えるのだ。カナもレナも、あれに乗りたいあれに乗りたいと大騒ぎ。

 アーミーダックをあきらめて、スカイレールにしよう。

 レインフォレステーションはキュランダと言っても町から少し離れた場所にある。スミスフィールドとキュランダを結ぶケネディ・ハイウェイの葛折の道沿い、キュランダから少し下った場所に入り口を見たことがある。
 全員でスカイレールに乗ってしまうと、その後の移動が面倒だ。料金だって往復乗れば割引はあるもののかなりお高い。
 パパが乗らずにレンタカーをキュランダに運ぶことにした。そうすれば車でレインフォレステーションに移動できるし、片道料金で済む。

 ジャプカイからレインフォレステーションのカラボニカ駅までは徒歩1分。
 切符売り場は少し行列しているが、進みは早い。
 パパはここでしばしのお別れ。

 チケット売場の窓口で、one wayのチケットを頼んだら、売り子のお姉さんに帰りは鉄道か何かの予約をしているのか?と焦った声で聞かれた。
 スカイレール以外の乗り物は、常時乗れるというわけではないのだろう。実際、キュランダ観光鉄道は、前に乗ったときチケットを取るのに苦労した。前日にケアンズの駅で購入しようとしたが既に売り切れ、仕方なく鉄道とスカイレールを組み合わせたツアーに急遽入ることにした。
 えーい、カタコト英会話だ。
 ハズバンドがキュランダで、レンタカーでピックアップしてくれる、それでいい?
 「オーカーイ(OK)」

 カナとレナは遊園地の乗り物を待つ気分だ。
 係りの人が誘導してくれる。
 ゴンドラのドアは自動開閉。
 中は6人乗りで広々としていた。

 蓮の池の上空を渡り、それから山に沿って高度を上げる。
 眼下は手つかずの熱帯雨林だ。
 はじめは乾いた幹の白いユーカリ林。それから徐々に緑が濃くなる。羊歯がコンパスで書いたように完璧な同心円状に葉を広げている。
 やがて視界がせり上がり、水平線が見えてきた。
 パッチワークのような区画された農地の向こうに、水色のコーラルシー。

 前に乗ったときは天気が悪かった。
 雨期に来たのだから仕方ないが、真下に鬱蒼とした原始の森が広がるばかりで、海も山も何も見えなかった。
 今日は天気がよいのでスカイレールのポスターで見られるような景色が広がっているかなと期待していた。
 本当に遠くまでよく見える。
 こんな日に乗るスカイレールこそ、料金に見合うというものだろう。

 子供たちには飛行機の中では静かにしなさいと言い続けてきた。
 ツアーバスの中やレストランも同様だ。
 ここでは隣のゴンドラまでも離れているし、閉鎖空間の中には迷惑がる人も他にない。
 さあどうぞ、好きなだけ叫んで。
 「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 景色を見て感嘆の声を上げているわけではなく、ゴンドラが支柱に近づく度に競い合って声がかれるほど大声を上げる子供たち。
 熱帯雨林だ、コーラルシーだと感激しているのは母ばかりなり。
 子供たちにとってはそこがオーストラリアであることすら関係ないらしいが、とにかく二人とも猛烈にはしゃいでいた。
 何だかちょっとずれているけど、楽しんでくれるならそれでいいか。

 熱帯雨林の上空を行く小旅行は、途中二ヶ所の駅で散策することができる。
 森林浴をしながら遊歩道を歩くレッドピーク駅と、バロン滝と渓谷を俯瞰する眺望台を持つバロンフォール駅だ。
 丘を越えたところにある最初のレッドピーク駅では、無料のガイドツアーも時間ごとにあり(英語)、立派なバスケットファーンがいくつか見られる。

 実はスカイレールには恐怖の思い出がある。
 前に乗ったとき、記念写真を撮ろうとしてカメラを構えたままバックしたら、背が開閉ドアにあたり、そのままドアが開きそうになったのだ。
 今でも覚えている。
 ドアはちょっと寄りかかられただけでまったく抵抗なくすっと開きそうになり、僅かな隙間から背に外の風があたった。
 既に体勢を崩していたので一瞬両手は宙を泳いだ。
 どうやって体を立て直したのか判らない。
 何かに捕まったのか。
 いや、たぶん少し傾いただけで、何とか足の踏ん張りだけで身を起こしたのだろう。
 改めて下をのぞき込めば、転落したら決して助からない高さ。
 心底ゾッとした。
 だから今回乗るときも、決して子供たちにはドアに近寄らないよう言い聞かせた。
 おそるおそる押してみると、自動開閉のドアは頑丈に開かないようになっている。
 あのときのドアは観音開きだったように思った。
 今のドアはスライドするタイプだ。
 ゴンドラ自体も大きく、とても綺麗な感じだ。
 もしかしたらゴンドラを取り替えたのかもしれない。
 まさかと思うけど、あれから誰か転落事故を起こしたのだろうか・・・。

 その後はゴンドラは今度は緑生い茂る谷を渡り、やがて眼下に切り立った渓谷と白い絡み合った糸のような滝が見えてくると、二つ目の駅、バロンフォールズに到着する。

 乾期のバロン滝は決して水量こそ多くはないが、複雑な渓谷は見ていて厭きない。
 今はたおやかな絹糸のような流れも、雨期の終わりには濁流となってなだれ落ちる。

 バロンフォールズ駅を出ると、後はキュランダへ向かうだけ。
 頂をひとつ越えるごとに植生が変わるのが見ていて楽しい。
 濃緑色に濁ったゆるやかなバロン川を渡ると、もうそこが終点だ。
 駅に到着する直前、キュランダ観光鉄道の駅舎と停まっている車両が見えた。

 駅での散策時間を入れて、スカイレールの所要時間はほぼ1時間半という。
 キュランダ駅では既にパパが待っていた。



 車を停めてある場所に向かうと、バッタがいた。
「あっ、バッタ」
 カナが早速追いかけ始める。
 バッタだけじゃないよ、トカゲもいる。緑の蟻グリーンアントは泊まっている部屋のバルコニーにも行列して歩いているから珍しくも無いけれど。

 キュランダは緑濃い南国の高原。
 椰子や羊歯が生い茂り、海沿いのケアンズとはまた違った雰囲気。
 ここではマーケットが有名だ。昔は週に2日ほどしか開催していなかったが、観光客が増えたため今は毎日開催している。

 行き当たりばったりな行動ながら、せっかくキュランダまで来たのだからマーケットをのぞいてみよう。

 昔以上に完全に観光客向けになってしまったマーケットは、色とりどりの商品が並んでいた。
 今日は7月16日の金曜日、このあと日本は17、18、19日と連休で、翌20日の終業式を過ぎると夏休みに入る学校・幼稚園も多い。そろそろ日本人が増えてくる頃だ。
 それにしてもここには日本人多すぎ。
 ケアンズ空港を離れてからほとんど目にすることがなかった同国人が、このマーケットには溢れていた。
 レナが入り口のところにしゃがみ込んでぐずぐず言う。
 第一反抗期真っ盛りの四歳児はつまらないことですぐ機嫌を損ねる。
 床石の文様を踏みたかったのに先を急がされて踏めなかったとかそういうことで。
 ほらほらパパとカナはさっさとマーケットの中に入っちゃったよ。おいてけぼりだよ。

 叱ったり宥めたりすかしたり・・・。
 いい加減にして。

 無理矢理抱き上げて先を急ぐ。
 先に行った二人はどこだろう。完全に見失った。

 坂道をかたかたと降りていく木のカンガルーのおもちゃが目に付いた。
 売っているお兄さんが実演してくれる。
 かたかたかたと音を立てて、単純なつくりながら本物さながらの動きで降りてくる。
 レナはそれがほしくてたまらないらしい。
 高いから駄目。
 そこへカナの手を引いてパパがやってきた。カナはカナでパパにぐずぐず言っていたらしい。本当に二人ともショッピングとか始めるとすぐにぐずる。
 別に本気で買い物をしたいわけじゃないけど、あなたたちもたまには大人に付き合いなさい。

 そこできらきら光る腕輪を二つ買った。
 チープなつくりだけど、子供用サイズがあり、ひとつ1ドルだ。
 これでどう?
 レナはすぐに機嫌を直したが、カナはまだ「いらない」とか何とか言っている。
 本当はほしいのは判っている。カナはとにかく損な性分なのだ。
 結局マーケットでは子供の腕輪しか買えなかった。
 というか、ほとんど中も見られなかった。

 夜明けの寒さが嘘のように暑い日になっていた。
 公園では子供たちが遊んでいる。
 カナとレナもきっと遊具で遊ばせれば気分転換になるのだろうけど、今日は先を急ごう。

 車に戻ったらカナが小さな声で「腕輪をちょうだい」と言った。
 パパはぐずぐず言うなら買わないで行こうと言ったけど、カナの分も買っておいて良かった。



 レインフォレステーション・ネイチャーパークは前に私たち夫婦が友人たちとキュランダを訪れたときには無かった。
 あの頃はキュランダももう少し鄙びた印象があった。スカイレールができてから格段に観光客が増えたのだろう。
 レインフォレステーションは「アーミーダック(水陸両用車による45分の熱帯雨林ツアー)」、「パマギリ・アボリジナルエクスペリエンス(アボリジニのダンスやブーメラン投げ体験など)」、「コアラ&ワイルドライフパーク(動物園)」の三つからなり、それぞれ別々に料金設定がある(割引のある共通券も有り)。
 やはりメインはアーミーダックだろうか。
 ゴールドコーストにもアクアバスという同じような水陸両用車によるアトラクションがあるが、ケアンズ近郊ではここだけだ。
 それに比べると、パマギリ・アボリジナルエクスペリエンスとワイルドライフパークはおまけっぽい。
 アボリジニのダンスとショーなんてまるっきり、さっき朝食を食べたジャプカイの縮小版のようだし、コアラ抱っこのできる動物園なら目の前のキュランダにもコアラガーデンがあり、下ればパームコープの手前にもっと大きなケアンズ・トロピカルズー(旧ワイルド・ワールド)がある。
 それをわざわざセットで詰め込んでいるのは、何となく時間のない団体観光客が一ヶ所で全て済ませるためのようでちょっと嫌な予感がした。

 キュランダからのシャトルかツアーの観光バスでアクセスする人が多いのか、一般用の駐車場側にある入り口は、何となく寂れている。
 裏口のような通路を通って、バーベキューレストランの横に出る。
 レストランは東洋人の団体客で埋め尽くされていた。中国か、韓国か。

 私はやっぱりアーミーダックに乗りたい。
 しかし子供たちは既にスカイレールに上機嫌で乗った後でもう乗り物はいいらしい。パパも乗り物にお金を払う気は無いようだ。とりあえず動物園の入場料を払った。動物園にも目的がある。明日、マリーバを訪ねるときにグラナイトゴージに寄って、野生のマリーバロックワラビーに餌をやろうと思っているが、そのためのいわゆるカンガルーの餌をここで仕入れるつもりなのだ。

 入ってすぐ、砂地にカンガルーがごろごろしていた。
 暑さでうだっているらしい。近づいても餌を見せてもまるで興味を示さない。

 左手に行くとコアラ舎があり、コアラが数頭と通路を挟んでウォンバットもいた。
 きゃー、ウォンバットだ。
 実はかなりのウォンバット好き。
 去年の旅行で残念だったのは、何よりウォンバットに会えなかったことだ。ポートダグラスのレインフォレストハビタットには、カンガルーもコアラもカソワリーもエミューもクロコダイルもいるが、ウォンバットだけはいないのだ。
 ウォンバットもオーストラリア特有の有袋類。袋の口が後ろを向いているという変わり種。ずんぐりむっくりして小熊と子豚を掛け合わせたよう。ウサギのように穴掘りが大好き。

 パパにウォンバットだけで何枚撮影する気だと呆れられ、振り返るとおや、あのコアラは何か抱っこしているよう。
 丸くなって、むくむくした何かを守っているようなポーズを取っている。
 あれはもしかして、コアラの赤ちゃん?

 そのときはよく見えなかったが、レナと一緒にカンガルーに餌をやっているとカナが走ってきた。
「ママ、ママ、コアラの赤ちゃんの顔が見えたよ」
 急いで戻ってみると、あっ、本当だ。耳がのぞいている。
 かっわいいーっ。
 でもお母さんコアラは、寝ていなきゃ駄目ですよと言わんばかり、大事に大事に赤ちゃんコアラを包み込んでまた隠してしまった。その仕草が人間のようで、何だか可笑しくなった。お母さんコアラが赤ちゃんをとてもかわいがっている様子が見て取れた。
(コアラの赤ちゃんの動画もアップしました、GOGO豪州ブロードバンドからどうぞ)

 元々日本人の姿が多いなと思っていた動物園だが、さらにぞろぞろと団体が入ってきた。ツアーガイドの女性が大きな声で、「今、動物たちは赤ちゃんを育てる時期です。コアラやカンガルーの赤ちゃんに会えるかもしれませんよ、あっ、ほら、そこのコアラも赤ちゃんがいる」と説明した。
 さらにそのツアーガイドは園内をさっさと説明して回ると、最後にこう言った。
「みなさん、ここではたっぷり自由時間を用意しました。45分に集合です」
 それを聞いたパパは思わず腕時計を見てしまったそうだ。
 針は1時20分を指していた。
 自由時間をたっぷりって・・・たったの25分間のこと!?

 のんびり園内を見て回ったが、基本的に動物園としては二流という感じだった。オーストラリアに来てこれだけは見なくてはという動物はちゃんと揃えてあるが、それだけ。時間があるならケアンズ・トロピカルズーに行った方がいいし、レインフォレストハビタットの鳥類や、ハートレーズ・クロコダイルアドベンチャーのワニのように、しっかりとテーマを持って運営している様子はない。
 やっぱりここはアーミーダックに乗らないと真価が分からないのか。
 しかし、ワイルドライフパークを出ると料金所のところに着いたばかりの新しい日本人団体客がいて、一斉にぞろぞろとアーミーダック乗り場に向かっていった。

 うーん、やっぱり今のキュランダは私たちには合わないかもしれない。

 

 レインフォレステーションを出て、山道を下れば、もうそこはスミスフィールド。
 ここには巨大なショッピングセンターがある。
 去年の旅行でドキドキ夜行性動物探検ツアーに参加したとき、スミスフィールド・ショッピングセンターのトイレを借りたことがある。
 免税店よりスーパーマーケットの好きな我が家としては、一度ゆっくり見てみたかった場所だ。

 まずはショッピングセンターの外れにあるおもちゃ屋に入る。TOY WORLDという名前だった。
 パパはここでカナとレナに、一人20ドル以内なら買っても良いと話した。
 並ぶぬいぐるみは目がちかちかするほどカラフル。
 キャラクターでは今、とにかくスパイダーマンが人気らしく、大小さまざまな人形がたくさん陳列されている。
 カナが「これがほしい」と手に取ったおもちゃは29ドル。予算オーバーだ。
 無理だと伝えると、じゃあ何なら買えるの?と逆に聞かれる。
「これなんかどう?」
 ディズニープリンセスの人形と着替えが一式、マニキュアみたいなものがセットで付いている。マニキュアのようなものは服に自由に模様を描くための道具らしい。ひとつ12ドル。
 カナとレナは納得したが、パパはそれならこっちの方がいいんじゃないかと別の大きなセットを見せた。
 パパ、これも予算オーバーだよ。ひとつ26ドルもするじゃない。
「これなら買っても良い」パパはこれが気に入ったらしい。
 子供たちはもちろん12ドルのセットより26ドルのセットだ。もうあまりの気に入りように目が爛々としちゃっている。
「これ、これがいい!!」
 15センチぐらいの人形ひとつと、ドレス、爪の先ほどの靴、帽子、バッグなどのファッション小物がそれぞれ26ピース付いてくる。
 この靴の小ささ。
 絶対三日で紛失するよ。

 カナはシンデレラ、レナはアリエルの人形を選んだ。それぞれハート型とシェル型のケースに入っている。
「さあ、パパはカナとレナのおもちゃを買ったんだから、次はカナとレナが大人の買い物に付き合う番だからね」

 車をちょっと動かして、今度はウールワース近くの駐車場に停める。
 中にはいると流石に大きなウールワース。
 だけどウールワースの他はちょろちょろと小さな雑貨屋などが入っているだけで直ぐに建物の外に出てしまった。
 外というか、ガラス張りのカフェみたいなところだ。
 あれ。スミスフィールドのショッピングセンターってこんなに小さかったっけ? それにウールワースだけじゃなくてコールズも入っていたような気が・・・。
 ガラス張りのスペースをさらに歩くと、何のことはない、そこは終点ではなくジョイント部分で、その先には果てしなくショッピングセンターの通路が延びていた。
 これまた、こんなに大きいとは。

 どのくらい大きいかというと、中をシャトルが行き来しているくらいだ。シャトルと言っても、白塗りの遊園地に走っている幼児向けの汽車ぽっぽみたいなの。
 残念ながらいつも私たちと反対向きに走っていたのでついに乗れなかったが、一度は子供たちが何人か乗って、嬉しそうにはしゃいでいるのを見た。

 実は本屋を探していた。
 一番端まで行って、ようやく見つけた。
 野鳥図鑑を買おうと思ったのだ。
 鳥好きのカナのために。
 40ドルくらいのバードウォッチングの本を買った。
 Field Guide to the Birds of Austrariaという本だ。

 帰り道、子供たちは先を争うように寝てしまった。
 後ろが静かになったので、途中で車を停めてみた。
 Ellisビーチの先だ。いくつかある名もないビーチの一つだ。
 椰子をかき分け砂浜に出れば、青い空と青い海。足下に波が打ち寄せる。
 何て今日は長い長い一日なのだろう。



 部屋についてもレナは寝たままだったが、姉のカナはすぐに目を覚ました。
 朝が早かったので、明るいうちに夕食にしようと思う。
 夕方の日差しがとても気持ちよさそうだったので、ベランダで夕食を食べることを提案してみた。
 カナなど大喜びで、食器を運ぶのを手伝ってくれた。
 見える景色は海や山ではなく、ヴィラの敷地だけど、鳥も飛んでいるし木々の梢も風に揺れている。
 のんびり食べているうちに辺りは黄昏はじめ、けたたましい声を上げてロリキートの群が巣へ飛んでいった後、大コウモリが空を横切った。
 街灯に火が入り、ひとつまたひとつと星が瞬きはじめる。

 やがてポートダグラスの静かな宵だ。

四日目「マリーバ三昧の一日」へ続く・・・
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